全ての始まりはパニック障害だった

こんにちは!
ロンドンでカウンセリング、エネルギーワークのセッションをしています下田屋寛子です。

今日からようやくブログを始めます。なかなか始められなかったお話はまた今度^^
最初なので私とカウンセリングやヒーリングとの出会いの話などを少し。

2000年ぐらいに、通勤中の電車の中で急に息苦しくなって、動悸がうち、「このままこの混んでいる電車の中で死んでしまう!」と訳のわからない恐怖に取り込まれることが起こりました。

しばらく経てば収まるのですが、またあの恐怖に襲われるのではないかという不安が不安を呼ぶ状態が始まります。
これがパニック障害の症状だというのが、自分で本やサイトを調べたりして判明しました。症例を調べながらも、その情報を得ること自体が、「今度はこんな症状が自分に起こるのではないか」という不安を呼ぶという悪循環。。。

私の場合は閉所恐怖症のきらいが幼い頃からあったからだと思いますが、乗り物恐怖、混んでいる場所が駄目になっていきました。都会に住んでいて、通勤時に電車に乗れなくなる、というのは「子供でもできることができないなんて人間失格!」と言われているように感じました。不思議なことに、数年症状が全くでない時期もあったのですが、2005年以降、不安がべっとりと体に張り付いているような、とっても重くてしんどくて、症状はどんどんひどくなって行きました。おまけに不安から解放された後に、腸に影響がでるらしく、過敏性大腸炎の症状も併発して、何度も救急で病院に行くこともしていました。

体自体が本当に悲鳴をあげているような状況でした。

今でもその頃の写真を見ると、笑っているようで笑っていない顔をしています。TV、本や雑誌などを見たり、読んだりしていても「不安」や「恐れ」という文字があると、それらが浮き出てきて、私の中の不安を刺激するような気さえしました。

またその頃の私は全てにおいてネガティブで、仕事やプライベートでも、自分と他人を比べて(収入、ステータス、学歴、などなど)落ち込んだり、うらやんだり、また、「友達もいて、仕事もしていて、家庭もあるのに、なんでこんなにうっすらと不幸感があるんだろう?」「こんな自分は生きてる意味ってあるんだろうか?」とずーと考えていた時期でした。

そんな私でしたから、パニック障害のために、今までできていたことが、理由もわからないことで突然できなくなってしまうことに対して、喪失感や自分を責める気持ち、自己否定の中にどんどん落ちていきました。

もちろん脳内物質の影響などの観点からパニック障害の症状を抑える方法を選択することもできたとは思うのですが、なぜかその時に助けを求めたのが、大学時代の友人の旦那様(大学の心理学の先生でありながら、カウンセリング、ヒーリングなどもしていらした)でした。

それまでの私は「ヒーリング」とか「スピリチュアル」とか「光」「クリスタル」「天使」などなど言われても、「??」いやむしろ懐疑的で、超ネガティブですから、「そんなもんで楽になれんの?」ぐらいの姿勢で最初のセッションを受けたことを覚えています^^
でもとにかくこのつらい状況から抜け出したい、藁をもつかむ思いで臨んだのも本当です。

体の中の不快な部分に光を入れていくというセッションを毎週、2年ぐらい続けました。

自分の中に「ハート」があることに気づきました。

また不安を感じていない時は、自分の中に安心している、静かな部分があることにも気づきました。これって「愛」って呼んでもいいのかも?って思い始めた頃でした。

ヒーリングや、カウンセリングとは無縁な生活を送っていた私でしたから、自分の中にこういう感覚を感じる部分があることや、そういう風に感じる自分がいることを不思議に思いました。

またいかにココロと体が密接に関係しているのか、ということもわかり始めた頃でした。一方で、パニックアタックは、少しずつよくはなってきているものの、やはり特定の場面や場所になると不安に飲みこまれるという状態は続いていました。

2007年夏にそうした症状を抱えたまま、渡英することになります。
今日はここまで。続きまた書きます♪

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