人間関係のしんどさを解決する健全な境界線③~自分を大切にしながら相手も大切にできる~

今回はこれまでシリーズで書いてきた境界線についての最後の回です。

 

今回も前回と同様に、個別のケースを出しながら、越えるとき、越えられるときに、心の中でどのようなことが起きているのかを見ていきたいと思います。

また最後に、境界線を越えない、越えられるのを許さないために私たちはどうしたらいいのかについても触れていきたいと思います。

 

今回は、相手に言ったり、したりしたことが良かったのか? と気になったり、自分のせいだと思ってしまう時を例に、その時の心の状態について心の仕組みから解説していきます。

 

自分の言ったこと、行ったことを相手がどう考えるか不安に思ってしまう

 

メールやラインを送って、返信がこないことに不安になったことは誰しもあるのではないかと思います。また、自分の発言やふるまいについて、後になって「あれはあの場にふさわしかっただろうか?」とか、「相手は気を悪くしているのではないか?」「相手を傷つけていないだろうか?」と疑心暗鬼になったり、いろいろ詮索してしまうという経験もあるのではないかと思います。

こうしたケースも境界線の観点から見ることができます。

相手がどのタイミングで返信をするのか、相手がこちらの言動についてどのような解釈を持ったり、反応をしたりするのかは基本的に相手の領域のことであり、相手が決めることです。しかし、それらをこちらがコントロールしたいとなってしまうと、境界線を越えることになり、不安や猜疑心などに苦しむこととなってしまいます。

 

例えば、これは私の経験談ですが、ふいに口をついて出た言葉が相手を傷つけてしまったのではないかと思い悩む時があるのですが(それはたいがい杞憂に終わるのですが)、これは、自分が他者の言葉で傷ついてきたという経験があるからなのです。自分が傷ついたことで自分を力ない存在と見てしまい、それを相手に投影するので、相手を自分と同じように力ない傷つきやすい存在として見てしまうのです。自分が気になって考えを巡らせている時、その考えやイメージの中にいる相手は、決まって弱い力ない存在と見えているはずです。ですから、誰かを傷つけないように言葉に気を付けようなどという風な、自分を監視するという動きにもなってしまうのです。

 

このケースで私が、相手がどのような反応をするのか、どのような解釈をもつのかについて、「相手の領域で起きることなので、相手に任せるよ」「それは100%相手の自由だ」と健全な境界線を引けるようになるには、どうしたらよいのでしょうか。

それは、私自身の「他者の言葉で傷ついてきた」という経験を癒していくことです。その時に感じた感情(悲しみや、怒り、恐怖感などなど)や感覚、思いがありますから、それらに向き合って感情解放をしていくのです。なぜなら、これらの感情や感覚、思いが、自分のことを力ない存在と思わせてしまうのですから。感情や感覚、思いが解放されていくと、傷ついていた私から、自分の中に力を感じられる私に変わっていきます。その結果、相手のことも弱い力ない人とは見えなくなりますので、自然と境界線も健全に引けるようになり、無駄に思い悩んだり、自分の言動を見張ることもしなくてよくなるわけです。

 

自分のせいだと思ってしまう

また、なんでも「自分のせいだ」と自分が責任を負ってしまって苦しくなっているというパターンもありますね。こちらが悪気や傷つけてやろうという意図など全くない言動に対して、相手から「傷ついた」と言われたり、責められたりしたときに、それは「私のせいだ」と自分が相手の感情の責任を引き受けてしまうケースです。

 

相手が「傷ついた!」と怒っていたとしても、その感情の責任をとれるのは(感情のケアができるのは)、基本的に相手本人です。なぜなら、怒りなどの反応を生み出すものがその人の中にあるからですね。例えば、相手がトラウマなどでの傷がある、あるいは、たまたまその時何らかの事情で不安や焦りなどがあったのかもしれません。そして、そのケアをしたり、向き合ったりすることができるのは、その人です。

他の人がするべき仕事の責任を負ってしまうと、今度は自分が窮屈になったり、不満がたまってきて、関係そのものがぎくしゃくし始めて、難しいものとなってしまうことでしょう。

 

このように誰の領域で起きていることなのか、その責任をとれるのは誰なのかを見極めることはとても大切になってきます。どうしても「自分のせいなのではないか」と境界線があいまいになって引き受けそうになってしまう場合は、今度は、健全な線引きを難しくさせるものは何なのか、自分を力なくさせるものは何なのかを自分の中に探っていくとよいですね。

 

まとめ~健全な境界線をひけるようになるためには~

前回、今回といくつかの個別のケースを挙げながら、越えるとき、越えられるときに、心の中でどのようなことが起きているのかを見てきました。

 

境界線は目に見えるものではないですし、断れば境界線を引けましたとか、何かの行動をしたら引けていませんとかといったようなものではありません。つまり「行動」ではなく、自分の中で、精神的な軸や自立があるかどうか、に依るのです。

 

自立ができにくくなるのは、「自分には力がないのだ」と信じているからで、それはなんらかのトラウマや傷つきの体験が原因となっています。ですから、健全な境界線を引くためには、そのトラウマや傷つきの体験を癒して、低まってしまった自己価値を回復していくことが大切です。(具体的には、これまでの記事でも書いていますが、経験は、感情―感覚―思いで構成されていますから、それらの解放をしていきます。前述の「他者の言葉で傷ついてきた」という私のケースも参考になるかと思います。)

 

 

今シリーズ最初の回でトマス・ゴードン博士の

「健全な境界線の境界は、通り抜けができるぐらい浸透性があり、危険物は閉め出しておける程度の強度がある」

という言葉を引用しました。

自分に力を取り戻していくことで、このような境界を、状況、状態ごとに柔軟に設けることができるようになります。そしてこの境界は、愛や信頼がベースの境界なので、自分も尊重しますし、相手も同じように大切にすることができます。このような精神的に自立した者どうしが、お互いに関わり合い、刺激をしあっていける関係を築いていきたいですね。

 

 


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