こんにちは!
イギリスは冬時間に変わりました。窓から見える木々の葉っぱがどんどん落ちていっています。だいぶ寒くなってきていま~す。
さて、ちょろりと前回の続きを♪
2007年の渡英後、人や知識や出来事などとのいろいろな出会いがありました。
「スピリチュアリティ」に対する印象なども変わってきていました。特にイギリスは、ヒーリング、カウンセリングや様々なセラピーが人々の暮らしの中に根付いていて、情報も早いことに驚きを感じました。
私が大学院でカウンセリングを学ぼうと決心したのも、自分がパニック障害を発症したことをきっかけに、どう心の問題を扱ったり、人の成長に昇華させていくのかを学びたいと思ったからというのもあります。大学院では、精神分析とクライアント中心療法、2つの心理療法の理論を学びました。理論を学んでいて、いつも頭の片隅にあるのは、何故自分がパニック障害を発症するに至ったのか、それを目の前の理論を基に分析したい、という思いで、それぐらいに「パニック障害を持っていること」についてのこだわりや執着がありました。ですから、自分の子供の頃の親との関係や、自分がどのように育ってきたか、それが現在の人格形成にどのような影響があったかなどを分析していた期間でした。
ところが、自分なりに理論に当てはめて分析して、なんとなくあの頃に原因があるのかも、とか、こういう親子関係だったからとか、自分が経験した環境やプレッシャーの中で、今の自分が作られてきたんだな、今の私は自己価値が低いからいろいろと苦しいんだ、などということが分かっても、全然楽になった気がしません。
なぜなら、不安を感じる自分はまだいるし、不安を感じてしまう自分は進歩していないような気がして嫌いなままだし、分析してわかったところでなんだかうまくいってない、という思いが残っていました。渡英したばかりの頃に、ネットサーフィンをしているとロンドンでカウンセリングやヒーリングをされている溝口あゆかさんのブログを読む機会がありました。それ以降、時々読みに行っていました。
そして、2010年5月にイギリス生まれの新しいセラピーテクニックである「マトリックス・リインプリンティング」のワークショップをされるという告知を見て参加することにします。私の本当の意味での、自分を見つめる旅が始まったのはここからと言っても過言ではないかもしれません。
その後、ロンドンホリスティックヒーリングカレッジにて、ディプロマコースを受講したり、様々なセラピーのテクニックを学んだり、自分自身カウンセリングを受けたりしながら、歩んできています。折に触れ、このブログでも私のプロセスなども引きあいに出して、癒しや変容の段階などにも触れていきたいと思っていますが、私を変えたものは何だったのか??
それは、
★自分の無意識にある思いや思いこみに気づいたこと。これは、ほとんど目からウロコ状態です。そして、それが分かると、何故苦しかったのか、何故物事が進まないのか、何故あの人のことが苦手だったのかなどが、「はぁそりゃそうだわ!」と納得できます。
いつも誰かのせい、外の環境のせいにしていたのに、実は抑圧していた思いがあって、またそれに自分の解釈をつけ、ストーリーを展開して、世界を見ていたんだということに気づいたのです。この心のしくみを知って、今まで自分を苦しめていた理由がわかるだけでも楽になれました。
★ネガティブな気持ちが沸いても、持っていてもいいことに気づいたこと。
私は特に自分の中に湧き上がる「不安」や「恐れ」と対峙してきました。対峙する=やっつける、自分の中から追い出す、自分の中に持っていてはいけないもの!とずーと向かいあってきていました。ところが、自分の中から消そうとすればするほど、また抵抗すればするほど、それらの気持ちはどんどん大きくなってよりフォーカスされるのです。
もう最後は「降参」しました。絶対、触ったり見たりしたくない感情を少~し指先でタッチする感じです。少し自分のペースで仲良くなってみようかな、という感じ。すると「客観的に」感情を見られるようになってきます。「客観的」というのは、自分が感情に振り回されなくなるということです。不安はそこにあって、それを感じている自分もわかる、「自分の一部が不安を感じている」っていう感じです。
★より自分のハートの声に従えるようになったこと。
私はいわゆる普通に進学して、収入を得るために就職をして、、、という道をたどってきました。なんらかの目標を立ててつっぱしってはいたのですが、「好きなことは?」とか「将来の夢は?」なんて聞かれても、ほーんとにわからなくなっていたものです。
はっと気づくと、「何がしたいんだっけ?」「これって本当に私がやりたいことなのかしら?」「でも生きてくためには働かなきゃだし」「もう大人なんだしプラプラしてちゃまずいんじゃない?」などなどたーくさんの思考の声にかき消されて、本当の自分が喜ぶことが何なのかが分からなくなっていたのです。
自分を見つめることは、一方で自分を制限している思いや、価値観や常識や批判からどれだけ自由になるか、ということでもありました。また、自由になるためには、その思いや価値観がどうして私の中に作られて、制限するようになったのかを理解し、それにくっついる感情を解放していくことでもありました。
先にも述べた大学院で自分のことを分析していた時には、なんとなく自分の体験や環境などが影響しているな、ということまでは理解はできていたのですが、その体験などにくっついている感情をどうやって処理すればいいのかが分からない状態でした。だからなんだかすっきりしないままだったのですね。
ですが、ディプロマコースで学んだ、過去の傷を癒し、感情を解放していくことを実践していくことで、自分を制限したり批判する思いからどんどん自由になっていくことができました。自分の中に自由やスペースができれば、自ずと今まで入ってこなかったものが入ってき易くなります。どんどんと本当に自分の心が喜ぶことを選択することもできるようになっていきましたし、自分を認めたり、相手や出来事をフィルターなしで見ることができるようになって行きました。
あーこれが「生きやすくなる」ってことなんだなぁと実感しています。
★「スピリチュアリティ」について、体験を通しての理解が深まってきていること。
多くの覚醒した人たちが述べている、大きな視点(大いなる存在、純粋意識、目覚めの意識、神など)では、「私たちはすでにゴールにいる」ということを聞いたときに、力が入っていた肩がふわりと緩む感じがありました。私たちはよりよくなろうとか、もっといい生き方をなどと探求をいつもしています。それはそれで全然OK(カウンセリングやセラピーもそれを目的としています)なのですが、一方で「真実の私(=何も探す必要はない、ありのままでOKなど)」はいつもここにいる、どこにもいかない、どこにも消えない、何の影響もうけていない、ということを「知っている」ということは私に大きな安心や安らぎを与えてくれています。
私に変化をもたらしたものはいろいろなアスペクトで語ることができるのですが、ざっくりとこれぐらいを挙げておきます♪
さて、「パニック障害」が全ての始まりで、そこから私のジャーニーが始まったのですが、「パニック」に関しての今の私の思いというと、、、
結構、もう「ぼんやり」なんですよね。。。(笑)
あんなに苦しくて、憎くて、消してしまいたい、と思っていたのが、今は他の思い出や出来事と同じぐらいにぼんやりとそこにある、といった感じです。
苦しんでいた時は、「劇的な変化が現れて」、「全てがきらきらハッピーになる!」んじゃないかと思っていたのですが、実はそうではなくって、とっても緩やかで、でも自分の中で起こった変化に十分信頼を置いている感じです。
私のケースはたまたま「パニック障害」をきっかけとしていましたが、人生いろいろな段階があったり、経験があったりして、そこから何か変化を促されることもあると思います。
自分の中に様々な鍵が隠れています(特に潜在意識には宝物が一杯です!)。
また、今、自分の中(心や体の感覚)に起こっていることもたくさんのことを語ってくれます。
本当の意味で自分に正直に向き合うことによって、自分にとっての本当の癒しを体験することができると思います。
私はカウンセラー、セラピストとしてセッションをしていますが、知識や学んだことはもとより、自分が体験した(している)変化が自分にとって、何よりのリソースであり、自分が行うセッションの信頼の源でもあります。
みなさんの様々なプロセスに伴走させていただければと思っています。
長い文章読んでくださって、ありがとうございました~☆
2 Replies to "私に変化をもたらしたものって?"
よりこ 2012年11月6日 (9:39 AM)
ひろさん!素晴らしいblogの内容ではないですか!すごく整理されていて読みやすいです。
私も仕事が忙しいときに自分の体と心がだめになっていた時期があり、大きく同感できる部分がおおかったです。このあたりのことにはすごく興味があるのでまた読みに来ます!
下田屋 寛子(しもたや ひろこ) 2012年11月6日 (10:54 PM)
ひろさん!素晴らしいblogの内容ではないですか!すごく整理されていて読みやすいです。
私も仕事が忙しいときに自分の体と心がだめになっていた時期があり、大きく同感できる部分がおおかったです。このあたりのことにはすごく興味があるのでまた読みに来ます!
よりちゃん、ありがとう!ぼちぼち更新していきますので、また時々見にきてください♪