幸せになることを選べない、自分に許すことができないとき~ビリーフを生きる私たち~ #3ケースC 「悪いことをした私は幸せになってはいけない」

今回はシリーズ最後のケースのご紹介です。

 

昇進を素直に喜べないBさんと強迫性障害

Bさんは、40代の女性です。Bさんは、外出するとき、何度も戸締りを確認しないと外出できなかったり、何か不安を想起させる思いが出たときに「おまじまい」をして想念を打ち消さないとすっきりしない、ひどい時は、その想念に取りつかれて不安定になってしまうという生活を送っていらっしゃる方です。その一方で、仕事について、それなりにキャリアを積み重ねてきた方で、そういう状態に自負もあるだけに、この強迫観念が浮かばなければずいぶん楽になるのにと思っていらっしゃいます。

 

そんなBさんの前に、昇進の話が持ち上がりました。ところが、嬉しいはずなのに、最近は強迫観念が強まり、不安感や恐怖感は高まり、眠れなくなるなど、疲労困憊の状態です。このまま昇進の話を受けてよいのだろうかとまで思ってしまう、ということでセッションにいらっしゃいました。

 

 

本来喜ばしいはずの昇進なのに、素直に受け取ることができないことと、強迫観念が浮かんだり、それを打ち消すための行動をすることとの間に何か関連はあるのでしょうか?

 

 

Bさんの話を聞いていくと、Bさんには自分の中で「汚点」「黒歴史」と思っていることがありました。

Bさんは小学生の頃いじめっ子だったそうです。イライラしたりすると、だれかをのけ者にしたりして、自分の気持ちのはけ口を求めていじわるをしていたそうです。しかしそういうことをしているということを親(ちなみに、お父さんは、地域での名士だったそうです)にも先生にも言えず、弱いものいじめを止められない悪循環の中にいたそうです。憂さ晴らしができたような一時の快感がある一方で、そういう自分であることを恥じてもいましたし、罪の意識もあったと言います。特に、大人になって、自分がしていたことについて冷静に判断できるようになってからは、さらに否定感が伴うようになって、後悔や罪悪感が強くなったそうです。大学進学と同時に故郷を離れたBさんでしたが、自分のこういう行動を知っている人に会いたくないので、実家にもあまり帰らず疎遠になっているとも。

「汚点」からは物理的に距離を取れていて、かつて自分がそんなことをしていたと知っている人は誰もいない環境にいるのに、自分自身に嘘っぽさや、自分をごまかしているような感覚を感じ、自分の人生が上手く運んでいても、だれかの不幸のもとに今の自分の人生があるかのようにさえ思えて苦しいのです。

 

このBさんのビリーフと、ビリーフからとる行動

 

このような経験があるBさんに強迫観念や強迫行為が始まったのは、小学3年生ぐらいの頃だと言います。初めは、通りの角で直角に曲がったり、本やノートの角を触る、鉛筆などの長さを順序良く揃えるといったものだったそうで、それができないと気持ちがすっきりしない、といったようなものだったそうです。道徳の「善い行い、悪い行い」といった内容の授業で、自分の行いについて改めて自分は悪いことをしているんだ(いたんだ)と認識したときからだそうです。「この授業は、すごく自分がわがままで悪いことをしているんだと思わされた出来事だった」と言います。そして、これがBさんの中に「自分は悪い子」「自分は自分勝手な悪い人間」という思いを持つきっかけになったようです。そしてそれ以来、自分のことを罰し続けなければいけないことになりました。自分がしたことについて、親や先生に告白することもできず、一人自分が罪の意識を抱え続けていたことになります。ちなみに、それ以来、いじめることはしなくなったそうなのですが、クラスの中で引っ込むような感じになり、のびのびできない居心地の悪さも感じていたそうです。

 

 

Bさんのように罪の意識があって、恥の意識や罪悪感に苦しむ人の場合、どのように世界を見たり、行動をしたりするのでしょうか?

 

例えば、

・周りの目が気になる。・周りに遠慮をする。・相手、周りが自分をコントロールしてくるように感じる。
 
・自分が主張したり、我が出る、我を出すことを怖れる。またそのような行動をしている人を羨ましく思ったり、逆にうとましく感じる。
 
・自分が誰かを傷つけていないか自分監視をする。また他者が誰かを傷つけていると見えた場合、怒りが出たり、傷つけられている人に対して同情心が起きる。
 
・「幸せ」や「満足度」について、自分が決めた、自分にふさわしい度合いにこだわる(それ以上のものが手に入ったり、訪れることになると怖くなる)。
 
・自分を赦してくれるような状況、相手に惹かれる。エスカレートすると依存的になることもある。
 
・誰も自分のことはわかってくれないだろうと孤独感、分断感を感じ、苦しむ(あきらめや孤独感を通して周りを見る)。
 
・自分は罪深いと信じているので、自分を罰する行動や、償いをするための行動へと自身を駆り立てる。

 

Bさんの場合は、「自分は悪い子」「自分は自分勝手な悪い人間」と信じているために、そんな自分に何かいいことが舞い込んできた場合は、なんらかの「罪滅ぼし」(自分を罰し、制御をかける)をしないと、それを受け取れないと思っていると考えられます。その罪滅ぼしの一つが、強迫観念を持ち、強迫行為ということになっているということです。

 

強迫観念がでたり、「おまじない」といった強迫行動をとらなければいけないのは、生活を多いに制限されますので一見不自由さを伴う不快なものではあるのですが、一方では、「悪いことをした」、「罪を犯した」と信じているので、自分が罪を償うために必要な行動となっており、頭ではなんとかしたいと思っているけれども手放しにくいものになってしまうということです。

 

今回、昇進の話が出てから、強迫観念・行動が強まった理由が、Bさんのビリーフとの関連で改めて理解ができるかと思います。

 

 

 

さて、このBさんが、昇進の話など自然と受け取れるようになるには、これまでも書いてきていますが、やはり、「自分は悪い子」「自分は自分勝手な悪い人間」というビリーフから自由になっていくことでしょう。

 

では、どのようにビリーフから自由になっていくのかを、次回、シリーズ最後の回として書いていきたいと思います。

 

 


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